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日本語の接続詞 問題集

今日は晴れると思っていた。( 1 )雨が降ってしまった。 残念ながら、私は傘を持っていない。 ( 2 )天気予報で今日は晴れると言っていたからだ。 ( 3 )風も激しく吹いてきた。 ( 4 )私はお店の中でしばらく待つことにした。 ( 5 )雨宿りをすることにしたというわけだ。

そこで しかも ところが 要するに なぜなら

私は日本に生まれ育った。 ( 1 )、私はいつも何気なく日本語を使っている。 ( 2 )、世界を見渡すとこれは珍しいことかもしれない。 ( 3 )、アメリカやカナダでは英語を話す人が多いし、 世界中には、ドイツ語、フランス語、イタリア語を話す地域もある。 ( 4 )、一つの国の中で多くの言語が使われている国、 ( 5 )、多言語国家も多く存在するのである。

また だが すなわち 例えば だから

世界には様々な文化があります。食についての習慣も様々です。 ( 1 )、イスラム教の人たちは豚肉を食べません。 ( 2 )、ベトナムには、ゲンゴロウやタガメなど、虫を食べる習慣があります。 それらの食習慣は、彼らの中では、一つの価値観として共有されています。 ( 3 )、当たり前のものなのです。 ( 4 )、今の時代は交通網やメディアが発達して、様々な国や地域の人たちが関わり合うことが増えています。 ( 5 )、お互いの文化を尊重し合うことが重要なのです。

すなわち 一方 例えば だからこそ ところで

人は一つのやり方や考え方に慣れてしまうと、それが本当に正しいのかどうか、 考えることをしなくなります。 ( 1 )、それでは進歩はありませんし、 ( 2 )、何の発見も生まれません。 ( 3 )、たまにはいったんすべてを忘れて最初に戻ってみることが必要なのです。 ( 4 )、戻ることで、先に進むことができるというわけです。 ( 5 )ウソのようなお話ですが、本当のことです。

だから でも まるで つまり また

昔の日本人は家族や村などの共同体から望まれるような生き方をしなければならなかった。 ( 1 )、日本文学では、しばしば共同体と個人の間で苦悩する主人公が登場し、 また、読者の共感を誘った。 ( 2 )、現代に生きる我々は、自分で自分の生き方を決めなければならない時代を生きている。 これは一見気楽に見えるようで、 ( 3 )、不安なものである。 ( 4 )、自由であることの不安である。 ( 5 )、情報社会においては、どう生きるべきかの選択肢はますます広がっていくばかりである。 現代人の生きづらさの原因はそこにもあるのだ。

その上 むしろ だからこそ いわば ところが

地球上には様々な生物が生きています。 ( 1 )、トラやライオン、キリンやゾウ、米や麦、マグロやカブトムシや、バクテリアなど、 挙げていくと切りがありません。これらの生物たちは、ただ一つの種だけで、 生きていくことは困難です。 ( 2 )、生物はお互いに関係しあって行くことで自身の生命を保っているからです。 ( 3 )、地球上で多くの生命が関係しあって生きていることを「生物多様性」と言います。 ( 4 )、人間はこの「生物多様性」の中に含まれるのでしょうか。 もちろん人間も生物の一つです。 ( 5 )、人間も他の生物と関わり合うことなしに生きていくことはできません。 だからこそ、人間も、他の多くの生命と共に、この地球を分け合いながら 生きている存在であることを忘れてはいけないのです。

なぜなら このように 例えば したがって ところで

人間はそれぞれ違った物の考え方や感性を持っています。 言い換えれば、ひとりひとりに個性があります。 その違いをしっかりと見ることが大事です。 ( 1 )、人は他人を先入観で判断してしまいがちです。 ( 2 )、「あいつは悪いやつらしい」などといううわさを聞いて、 それを鵜呑みにして、その人の本当の個性を見ようともしない。 そのようなことになりがちなのです。 ( 3 )、世の中の情報に、目や耳を閉ざして生きることは難しいことです。 ついついうわさに影響されてしまう気持ちもわかります。 でも、一番大切なことは、自分の目で見て、自分の頭で考えることです。 自分の考え方や感性を信じられない人が、 ( 4 )相手の個性や感性をしっかりと見ることができるでしょうか。 ( 5 )、自分の個性を信じることが、相手の個性を知ることへの第一歩なのです。

なるほど どうして でも 例えば ようするに

人は独りで生きるのではありません。 ( 1 )、それは独りになったら生きられないというわけではありません。 仮に、ある人が無人島に流れ着いたとしても、即座に死んでしまうわけではありません。 ( 2 )、独りで生きるわけではないというのはどういう意味かと言えば、 人は他者との関係性の中で自分をつくるということなのです。 ( 3 )、他者があっての自分ということです。 あなたはこれまで周囲の人に育てられる中で、自分らしさを形成してきました。 ( 4 )、今現在、あなたの個性を認めてくれるのも、周囲の人たちです。 あなたの人生は、あなただけのものではありません。 同じように、あなたの命もあなただけのものではないのです。 だから、自分を愛するようにして、周囲の人たちを愛してください。 ( 5 )、そこにいるのはあなた自身の分身なのですから。

しかし すなわち なぜなら それでは また

少数意見は尊重するべきである。 ( 1 )、人は多数派の意見に対して、ほとんど反対意見を言わない。 ( 2 )、反対をすれば自分が嫌われることを知っているからだ。 そして、多数派の意見ばかりが尊重され、人がそれに反対をしなければ、 ますます社会において多数派の意見ばかりが増えていくことになる。 ( 3 )、多数派の連鎖的増大である。 一方で、少数派の意見はそれに伴って小さくなっていくことになる。 ( 4 )、新聞やテレビのニュースを見る際には、隠れた少数派の存在を意識することを、 ( 5 )忘れてはならないのである。

だから 決して なぜなら いわば だが

私たちをとりまく環境が変化すると、言葉も変化します。 ( 1 )、皆さんは「むかつく」という言葉の意味を知っていますか。 この言葉の意味はもともと胃など体の不快感を示す言葉でした。 ( 2 )現在では「怒り」など精神的不快感を表現するために使われることが多くなりました。 この用法の変化は、1980年代に起こったと言われます。 受験戦争や管理教育によるストレスを全身で感じていた当時の小中学生が、 精神的不快感をこのような言葉で言い表すようになったのです。 ( 3 )、その用法が広く一般的にも使われるようになりました。 このように環境の変化によって、言葉の指し示す意味が拡大する事例もあれば、 ( 4 )縮小する場合もあります。 また時には全く新しい言葉が作られることもあります。 ( 5 )、環境変化と言葉の変化に強い関係があることは間違いありません。

ともかく 逆に でも そして たとえば

( 1 )、世間では好き嫌いはよくないことだとされている。 とはいえ、人間には心があり、心には感情がある。 ( 2 )、好き嫌いの気持ちがあるのは当然のことだ。 松や桜や、梅や竹など様々なものがあるから自然は面白いのと同じく、 人間にも好き嫌いなどの感情の違いがあるからこそ、 ( 3 )面白いのだ。 ( 4 )、好き嫌いの感情にこだわってはいけない。 自分の好き嫌いを頑固に押し通せば、それはわがままである。 ( 5 )、自分が嫌いなあの人を、他の人も嫌うべきだ、というような考えは、 わがまま以外の何物でもない。 その人は、自分にとって嫌いな人であっても、他の人にとっては 大事な人かもしれない。松を愛する人、桜や梅や竹を愛する人、 いろいろな人がいるからこの世は面白いのである。

だが なるほど だから むしろ 例えば

自分の力を信じられない時に人はおじけづくものです。 目の前にいる相手が自分よりも勝っていると思うと、 怖くて仕方がない感情にとらわれてしまうのです。 この時、「いや、自分は相手よりも勝っている。 ( 1 )、何も恐れることはない。」と自分に言い聞かせるという 対処法があります。でも、この方法は、自分にうそをつき、 相手の本当の姿を見ようとしないわけですから、 ( 2 )うまくいかないでしょう。 ( 3 )うまくいったとしても、大変に気疲れしてしまいます。 これに対して、「相手には力がある。 ( 4 )、自分よりも勝った力である。」と認めたうえで、「 ( 5 )、相手はその力を、自分を攻撃するためには使わないだろう」 と信じて、自分も相手に対して自分の最大限の誠意を尽くすという方法もあります。 こちらの方がはるかに誠実な対処方法です。 もしあなたが、誰かに対しておじけを感じた時には思い出してみてください。

たとえ しかし したがって しかも きっと

昔から日本人はウナギを食べていました。 奈良時代の「万葉集」には「石麻呂(いしまろ)にわれ(もの)(もう)夏痩(なつや)せに()しという(もの)(うなぎ)とり()せ」 という大伴家持(おおとものやかもち)の歌が見られます。 ( 1 )、江戸時代には平賀(ひらが)源内(げんない) がなじみの鰻屋をはやらせようと宣伝用に看板を出したのがきっかけとなり、 土用の丑の日にウナギを食べる習慣が始まりました。 ウナギは日本人にとっておなじみの魚です。 ( 2 )、ウナギは深海で産卵し、淡水域に入って成長する魚なのですが、 その具体的な発生の仕方については、世界中で長い間謎とされてきました。 ( 3 )、どんなに探しても、ウナギの稚魚も卵を持った親も見つからなかったからです。 ( 4 )、そのウナギの発生の謎を解明した人がいます。 生物学者である塚本勝巳さんです。 塚本さんは、ウナギの天然卵を北太平洋西マリアナ海溝付近の海域で採集する ことに成功し、ウナギの産卵地を世界で初めて特定しました。 ( 5 )、ウナギの産卵の具体的な流れなどが明らかになっていったのです。

また その結果 というのも ところで ところが

人にはそれぞれ才能がある。 ( 1 )、その才能を開花させ、成長していくためには他の人による手助けが必要である。 ( 2 )、各自がその才能を発揮するためには、支援や助力が不可欠なのである。 ( 3 )、この支援や助力は公正さをその目標とすべきである。 ( 4 )、同じく才能ある二人の少年がいたとして、 一方は優秀な教師による指導を受け、もう一方は何の教育も受けられない としたら、これは公正ではない。 各自の置かれた状況が差別につながってはならないのだ。 ( 5 )、このような公正を欠いた状況は早急に改善されるべきなのである。

したがって たとえば さらに だが すなわち

あなたがお寿司屋さんに入ったとします。 たくさんのネタがありますよね。 でもその中には、同じ種類の魚を別の名前で呼んでいるものが含まれています。 ( 1 )、マグロも、トロも、鉄火も、魚の種類としては同じ「鮪=まぐろ」です。 ( 2 )、それぞれがまるで別の食べ物であるかのように扱われています。 ( 3 )日本人は、ひとつの魚からできるお寿司に、別々の名前をつけるのでしょうか。 私はこう考えます。日本人は昔から魚をたくさん食べていて、魚にこだわりがあるからでは ないかと。部位や調理法によって味にも細かい違いがあるということを知っている。 ( 4 )、別々の名前をつけるのです。そう考えてみると、 たくさんの名前、たくさんの言葉を知っている人ほど、 様々な物事を詳細にわたって理解していることになります。 ( 5 )、言葉の豊かな人は、心が豊かな人なのです。

つまり だからこそ どうして 例えば それなのに

「イブの仮説」という考え方があります。 現在の人類の母系の祖先をたどっていくと、 約16万年前にアフリカにいた一人の女性にたどり着くとする学説です。 これは母親から子どもに受け継がれるミトコンドリアDNAの塩基配列を 解析した結果を基に提唱された説です。 ( 1 )、このアフリカにいた一人の女性を「ミトコンドリア・イブ」と呼ぶこともあります。 大変興味深い説ですね。 ( 2 )、注意しなければいけないことが二つあります。 ( 3 )、現在の人類は「ミトコンドリア・イブ」の遺伝子を受け継いではいますが、 人類がその女性だけから始まったわけではありません。 ( 4 )、「ミトコンドリア・イブ」の生きていた時代には、ほかにも多くの女性が 存在し、その遺伝子は、途中で男子系子孫を介しながら、 現代まで受け継がれているからです。 ( 5 )、「ミトコンドリア・イブ」から、さらに先祖をたどることができることも、 忘れてはなりません。その母系先祖たちも現在の人類に共通する女性先祖なのです。 「ミトコンドリア・イブ」はあくまでも、現在の人類に最も近い世代の 祖先であるだけです。唯一の祖というわけではないのです。

次に なぜなら まず ですから しかしながら