【日本語の文体】敬体と常体の違い
名詞
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春節は中国人にとって最も重要な祝日敬体。
春節は中国人にとって最も重要な祝日常体。
春節は中国人にとって最も重要な祝日常体。
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この地域は、1万年前は海敬体。
この地域は、1万年前は海常体。
この地域は、1万年前は海常体。
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私のストレス解消法はひとりで散歩をすること敬体。
私のストレス解消法はひとりで散歩をすること常体。
私のストレス解消法はひとりで散歩をすること常体。
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水は人間が生きるために欠かせないもの敬体。
水は人間が生きるために欠かせないもの常体。
水は人間が生きるために欠かせないもの常体。
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データは破壊されました。ウィルスに感染したの敬体。
データは破壊されました。ウィルスに感染したの常体。
データは破壊されました。ウィルスに感染したの常体。
形容詞
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春のキャンパスは大変美しい敬体。
春のキャンパスは大変美しい常体。
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今年の12月は例年より気温が低かった敬体。
今年の12月は例年より気温が低かった常体。
形容動詞
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放課後の教室はとても静か敬体。
放課後の教室はとても静か常体。
放課後の教室はとても静か常体。
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この問題は非常に複雑敬体。
この問題は非常に複雑常体。
この問題は非常に複雑常体。
動詞
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毎日食堂で朝食を敬体。
毎日食堂で朝食を常体。
每天在食堂吃早饭。
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昨夜は遅くまで敬体。
昨夜は遅くまで常体。
我昨晚学习到很晚。
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このままでは試験に落ちる可能性が敬体。
このままでは試験に落ちる可能性が常体。
你再这样下去就有可能考试不及格。
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湖北省には海が敬体。
湖北省には海が常体。
湖北没有海。
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昨日は運動会で授業が敬体。
昨日は運動会で授業が常体。
因为昨天是运动会所以没有课。
その他
複文
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今日は雨が降って敬体が、練習を敬体。
今日は雨が降って常体が、練習を常体。
今天下雨了,但是练习了。
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この問題は複雑敬体が、何とか解決敬体。
この問題は複雑常体が、何とか解決常体。
这个问题很复杂,但总算解决了。
推論、意思などの形
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この問題についてはあとで考えることに敬体。
この問題についてはあとで考えることに常体。
关于这个问题我们以后再考虑吧。
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若者の間でどんなことが流行しているの敬体。
若者の間でどんなことが流行しているの常体。
年轻人之间流行着什么样的事情呢。
単語に現れる文体の差
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そんな小さな可能性について 考える必要は ないでしょう。
そのような小さな可能性について 考える必要は ないだろう。
そのようなわずかな可能性について 考慮する必要は あるまい。
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ですが、私は そんな意見には反対 です。
だが、私は そのような意見には反対 だ。
しかし、私は そのような意見には反対 である。
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ですから、 私たちは自然環境を無視して生活することは できません。
だから、 私たちは自然環境を無視して生活することは できない。
したがって、 我々はは自然環境を無視して生活することは できない。
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その日は雨 でしたから、いつもより渋滞して いました。
その日は雨 だったので、いつもより渋滞して いた。
その日は雨 だったため、いつもより渋滞して いた。
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彼は著書の中で2年間の留学生活は とても充実していたと 言っています。
彼は著書の中で2年間の留学生活は とても充実していたと 言っている。
彼は著書の中で2年間の留学生活は 非常に充実していたと 述べている。
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換気を しないで火を使うのは とても危ないです。
換気を しないで火を使うのは とても危ない。
換気を せずに火を使うのは 非常に危険だ。
練習問題
次の文章を常体にしましょう
昨日、日本語スピーチ大会がありました。私はまだスピーチをする自信はありませんでしたから、出場しませんでした。 でも、仲良しの先輩が出ると聞いて見に行きました。 先輩のスピーチは本当にすばらしかったです。大勢の聴衆に向けて、自分の考えを堂々と発表していました。 私もいつか、あのような心のこもったスピーチができるようになりたいです。
次の文章を敬体にしましょう
成功とは何だろうか。この質問に対する答えは、人によって違うと思う。 しかし、ほとんどの人が成功したいと思っているのは間違いないだろう。 書店に行けば、どうすれば成功するのかが書かれた本が山積みになっているし、 「成功の秘決」などをテーマにした講演会はいつも多くの人を集めている。
しかし、私の経験から言えることは、成功のために必要なものは他人から学ぶより、 自分が失敗体験を繰り返すことで学ぶ場合の方が、はるかに多いということだ。(中略)
成功のための秘決があるとしたら、それは「どれだけ真剣に行動し続けるか」 にかかっているのではないだろうか。人の目を気にしないくらい努力して、 それでもうまくいかない時、恥ずかしくて惨めな気持ちになるかもしれない。 しかし、そこから私たちはかけがえのないものを学ぶのだ。 そんな経験こそが、本で読んだことや、他人から聞いた話からは得ることのできない栄養となる。 そして、後になれば、その苦しかった経験は、実は失敗ではなかったということに気付くはずだ。